2012年1月12日木曜日

2012年1月10日〜11日


2012年1月10日〜11日

あの日からちょうど、10ヶ月に、またこの地に足を踏み入れようとは、思いもしなかった。今回の滞在は、いままでのZENKON湯の活動と少し違う。これまでを踏襲した活動として、石巻商店街のZENKON湯をおとずれたが、メインの活動は、雄勝町のOH-ガッツの漁師さんたちの活動の相談を受けるかたちで訪れた。
まずは、石巻商店街!

仮面ライダーの置物のある商店街を、自民党石の基本部を左折、懐かしいZENKON湯が、見えてくる。屋根に突き出た煙突から黒い煙を吐いて、迷彩のジャケットを着たひげ面の男が、ちょこまかと働いているのが見える。
レンタカーのマーチを横の空き地に止めると、その男が、
「さいとうさーん!お久しぶりです。年末から動いてますよ!昨日も大盛況でした。」

すごく楽しげに、私に話しかけてくる。その男は、鈴木さん。石巻商店街ZENKON湯の責任者だ。
「お元気そうで!煙突の煙が嬉しい!薪でやってるんですね。」
「知り合いの大工さんが、廃材をくれるんで、なんとか燃料費はまかなえています。じゅんちゃんもいますよ!じゅんちゃんー」
ZENKON湯の中から阿部さんが、
「おーひさしぶりでーす!」
同行していた石井さんが、
「なんかうれしいねー!」
このZENKON湯は、8月に設置したものの、石巻市が9月から運営を始めた自衛隊仕様の風呂から、近いという事で、資金繰りがつかず、運営を見合わせていた。鈴木さんと阿部さんが、二人で、年末から自力運営を始めた。
待望論のあった、風呂なだけに、皆が集まり、今は、にぎやかに運営出来ているらしい。それもそのはず、彼ら二人は、『シャンブルー』というバンドをやっており、年末には、風呂ライブをしたらしい。
なかなか、始まらなかった、ZENKON湯も立派に、町にとけ込み始めた。
石巻商店街には人手不足でリフォームが進まず、風呂に入れない人たちが、まだまだたくさんいる。
投げ銭ライブならぬ、投げ銭番台で、風呂の水道代等をまかなっている。
折角なので、石井さんと二人、ひとっぷろ浴びさせてもらった。
「ぐぁー!」
思わず声が出る。薪でたいた風呂は、まろやかで、心地がいい。
又二人、親友が出来た。
もしかすると、稼働は難しいかもしれないと思った事もあったこのZENKON湯だが、二人の友のおかげで、街の一員になれた。
横のテントで、じゅんちゃんの入れるコーヒーがたまらなくうまい。

軒につり下げられた、泥まみれのペンタックスのカメラが印象的だ。鈴木写真館は、今は、『シャンブルー風呂』として営業中です。


皆さん応援お願いします。「シャンブルー」のライブ香川でも聞いてみたいですね!

2時間石巻商店街で、シャンブルー風呂を訪れて、雄勝へと向かう。東北の日暮れは早い。5時半にOH-ガッツに着いたときには既に、あたりは真っ暗だった。
満月。悲しいけど美しい。波が全く立っていない凪の海に、月影がうつり、瓦礫を照らす。瓦礫に見えない。
誰もいない、OH-ガッツの合宿場に我々二人は、
「ここで良いのかなー!」
不安になりながら、電話も通じないので、マーチの中で仮眠する。
「お待たせしました!」
立花さんはじめとする若者達が、ものすごい勢いで、我々を接待する準備をしてくれる。漁師の見習い、東京から来たデザイナー、フードコーディネター、ボランティアに訪れた落語家さん・・実は香川出身の青年。一時間もしないうちに宴会が始まった。
OH-ガッツのリーダー伊藤さんが現れたのは、それから少したっての事である。
誰も熱弁をする訳でもなく、それぞれの自分の夢を聞かせてくれた。
ものすごく、伝わってくる。この街の事が知りたくなってきた。
4000人いた住民は、震災後、住民票での人口で1000人を切ったこの街は、震災前から、過疎状態だったが、この震災が追い打ちをかけた。
でも、震災前のポテンシャルに町を持って行く。『OH-ガッツ』のネーミングもぐっと来る。
深夜1時頃まで宴は続いたが、翌日皆で、漁に出ようと、消灯した。
6時起床
静かだ。窓の外は、銀世界。天気予報でも雪とは言っていなかった。レンタカー屋も降りませんよ絶対。と言っていたが、積もっている。

昨日、青く映し出された瓦礫は、今日は雪化粧だ、我々に、手つかずの瓦礫そのものを見せない、大自然の演出なのか、余計に悲しさが増してくる。
目の前の物にとらわれず、次の段階へ進めと暗喩しているようでもある。
「今日の漁は中止ですね!昨日言っていた町のスポットを案内しますよ!昼から雄勝中学の太鼓の練習に行きましょう。」
急遽、予定変更で、町を見て歩く事になった。それはそれで、楽しかった。今後のヴィジョンを話しながら、町を見て回った。
可能性を探しそれを紡いで、皆のヴィジョンを重ねた。建築家の目で、被災地を初めて見た気がする。

可能性はある。可能性どころじゃない。嬉しくなった。

別れ際に、OH-ガッツ代表の伊藤さんが、私の袖をひっぱり、
「よろしくな!」
ぶっきらぼうなそのそぶりから、ありがとうと言っているように聞こえた。

伊藤さんと別れて、立花さんにつれられ、雄勝中学校の和太鼓の練習を見に行った。
今日の練習はスペシャルで、和太鼓奏者『AUN-Jオーケストラ』が、始動に来ていた。壮大な迫力に子供達が引き込まれて行っているのを感じるとても良い演奏を聴いた。
もっと驚いたのは、雄勝中学の練習だ。
古タイヤにテープを巻き、津波に流された太鼓の代用にしている。バチは、100円ショップの綿棒。息の合った、合唱を聞いているような、古タイヤ演奏には、ぐっときた。古タイヤから、日本のソールが聞こえてくる。
雄勝中学校の古タイヤ和太鼓は、3月15日から、ドイツ公演に招かれたらしい。良い思い出を作ってきてほしい。


このチームも皆さん、応援よろしくお願いします。

我々も次の段階に進みます。

2012年1月6日金曜日

四国は美しい

やっぱり四国は美しい。
ナショナルジオグラフィックトラベラーに紹介されました。

記者の奥さんの里が、南予らしく。描写もすばらしい。




http://travel.nationalgeographic.com/travel/countries/shikoku-japan-traveler/

変化


新春の、百十四銀行の頭取の談話に、「想定外を想定することがこれからの経営者の仕事」という言葉が有りました。想定外を想定することの最も近道は、柔軟に変化する事だと今回の地震から教訓を得ました。チャールズ・ダーウインの言葉に「生き残る物は、強い物でも賢い物でもない、変化出来る物である。」というのもあります。日本人の強さは、そこですね。